僕の中の宛名のないメールとは。

2021年10月13日水曜日

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皆さん、こんにちは。

宛メの管理人です。


もう十数年宛メを運営しているといろいろな人から宛メの評価をいただきます。

良い評価ばかりでうれしいのですが、でも多くは僕の中の宛メと感じ方が違っています。


みんなが宛メに対してどう思っているかというのはここでは書きません。

ここでは僕がどう感じているかを、僕の大好きな本の文章をご紹介する事でお伝えしたいと思います。


とにかくね、僕にはね、広いライ麦の畑やなんかがあってさ、そこで小さな子供たちが、みんなでなんかのゲームをしてるとこが目に見えるんだよ。何千っていう子供たちがいるんだ。そしてあたりには誰もいない───誰もって大人はだよ───僕のほかにはね。で、僕はあぶない崖のふちに立ってるんだ。僕のやる仕事はね、誰でも崖から転がり落ちそうになったら、その子をつかまえることなんだ───つまり、子供たちは走ってるときにどこを通ってるかなんて見やしないだろう。そんなときに僕はどっからか、さっととび出して行って、その子をつかまえてやらなきゃならないんだ。一日じゅう、それだけをやればいいんだな。ライ麦畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ。

J・D・サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』(野崎孝訳)より

僕は、みんなが安全に走り回れるように、宛メというライ麦畑を作って、つかまえ役をしていたいだけです。


宛メを作る前に「ライ麦畑でつかまえて」を読みましたが、ある時ふとこの文章を思い出し、「ああ、宛メだな」と。

いつかこの事をみなさんに話したいなと思っていました。

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