宛メ(小瓶)に時間が載っていない理由。小瓶は永遠に海を漂い続け、いろいろな人の元に届くから

2018年3月8日木曜日

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皆さん、おはようございます!
宛メの管理人です。

最近、小瓶やお返事の掲載に時間がかかってしまって、申し訳ありません。
出来るだけ早く掲載できるようにがんばります。

実は今、宛メを飛躍させるためにある取り組みをしています。
まだ内緒なのですが、近々お伝えできると思います。
宛メ自体を何か変えるという類ではないのですが、上手くいくと宛メを大きく変えることができるキッカケになると思うことです。
その関係で過去の宛メをいろいろ調べているのですが、その中で以下の小瓶がすごく素敵だなと思い、今日はブログを書いています。

38290通目の宛名のないメール

以前、「宛メ(小瓶)に掲載時間がない」というご意見をいただいたことがありました。
なぜ時間が載っていないのかと言いますと、時間を載せてしまうとどうしても「古い小瓶だから見ない」といった心理が働いてしまうのだと思うからです。

僕は過去の小瓶もぜひ見てもらいたいと思っています。
それは「過去の小瓶でも今の誰かにとっては必要なもの」だと思うからです。

宛メの特徴の一つとして「他の人が流した小瓶を読んで、影響を受ける」ということがあると思います。
小瓶を流すだけではなく、小瓶を読むというのも、宛メ海岸に来る理由だと思います。

10年前の誰かの「つらい想いの吐き出し」が、今の誰かの「心の支え」になるかもしれない。
10年前の誰かの「死にたい」が、今の誰かの「死にたい心」を癒してくれるかもしれない。

そう思っているから時間を載せていません。

と、そんなことを思っていて、いつもそういう回答をするのですが、最初にあげた「38290通目の宛名のないメール」に、同じような事が書いてありました。

その中で「ああ、そっか!」と思ったのが以下の一文です。

その小瓶に、小瓶主としてお返事を書こうか迷った。もう、大丈夫ですよって。みんなの言葉、全部読んで、届きましたよって。
でもそうしたら、その小瓶が、ひとつの終わりを迎えてしまうから、やめた。

そうなんですよね、「終りを迎えてしまう」。
この小瓶主さんは「小瓶主としてお返事を書く」ことで小瓶が終わってしまうと書いていましたが、僕は「時間を入れる」ことでその小瓶が終わってしまうと思っています。

どの小瓶かは覚えていないのですが、たぶん小瓶へのお返事だったと思います。

「小瓶を読んだら、またそっと海へ流す」

といったことを書いてくれた人がいたと記憶しています。

小瓶を拾って読んで、お返事を書いてまた海へ流してもいいし、「読んだよ」という想いとともに、違う誰かの元へ届くのを祈って、またそっと海へ流す。

そんな場所が宛名のないメールなんだなと改めて思ったので、こうしてブログを書こうと思いました。

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